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歴史探訪エリア

+GUIDE 琴弾公園

ことひきこうえん

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一部瀬戸内海国立公園にも含まれる名勝 琴弾公園(ことひきこうえん)は約38.6ヘクタールの広さを誇り、桜、つつじ、椿など四季折り折りの花を楽しむことができます。園内には、「琴弾八幡宮」、四国霊場68番「神恵院」・69番 「観音寺」などの名所旧跡が点在しており、特に「銭形砂絵」は、瀬戸内海を背景に2kmにわたる白砂青松の有明浜と共に、琴弾山山頂からの眺望が見どころとなっています。日本庭園の父といわれた小沢圭二郎設計の琴柱池は改修されていますが、よく原形をとどめ、周辺に植栽されている桜は、「日本の桜100選」になっています。それだけではなく、瀬戸内海に沈む夕日が美しい事から「日本の夕日百選」にも選ばれる景観の良い名所です。

琴弾公園_展望台2.jpeg

+GUIDE 問答石

もんどういし

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大宝3年(703年)、嵐の過ぎ去った夜に、海岸に一隻の船が現れ、妙なる琴の調べにうっとりした人々が、琴の主を船とともに山頂にひきあげ、神殿を建て、「琴弾八幡宮」を祀ったといわれています。この船の主が宇佐大神で、この時、日証上人がこの石に倚り、船中の大神と問答したと伝えられています。

問答岩3.jpeg

⑤早苗塚

さなえづか

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「早苗とる 手もとやむかし しのぶ摺」
「奥の細道」にある芭蕉の一句。稲の苗を扱う手許の風情も古代めいて見える陸奥の田植風景を詠んだもの。
芭蕉のこの句の短冊を地元の俳人・小西帯河が短冊を持っていたとことから、安永4年(1775年)に小林一茶の師匠・二六庵竹阿の指導の下に、句碑を建てたとされる。この時の句碑は壊れ、1839年(天保10年)によって修復されました。

早苗塚1.jpeg

⑥木乃鳥居

きのとりい

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この鳥居は、源義経の戦勝祈願の地と言われており、源義経が鳥居と神馬を奉納したと伝えられています。

この木製の鳥居は、1185年に屋島の戦いのあとに奉納された物で、現在は石などで補強はされていますが800年近くこの地で佇んでいる歴史を感じる鳥居です。

6.木乃鳥居(綺麗に撮れてなかったのでひろってきました).jpg

+GUIDE へんろ道標

へんろみちしるべ

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江戸時代初期の僧侶·真念は初の四国遍路ガイドブック『四国辺路道指南』(1687年刊)を執筆しました。この本は以後、改訂·増補を重ねて150年以上にわたって利用されたロングセラーとなりますが、同時に彼は、道標を建立するなど、遍路の行程に即した環境整備も行いました。現在、真念時代の道標はほとんど残っていませんが、この道標は、当時のものとされる歴史的価値が高いものです。

へんろ道_最古の道標2.jpeg

+GUIDE 高灯籠

たかどうろう

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琴弾山には昔から高灯籠があり、明治時代の錦絵にも描かれています。現在の高灯籠は昭和28年に地元の漁民が観音寺の仮屋地区にあったものを寄進して移築したものです。高灯籠はかつて銭形砂絵「寛永通宝」と共に観音寺のランドマークでしたが、近年は周囲に生い茂った雑木に埋もれてしまっていたため、令和4年に地元の住民団体の要望で一部樹木の伐採が実現し、再び観音寺港周辺の市街地から眺めることができるようになりました。

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⑦琴弾八幡宮本殿

ことひきはちまんぐうほんでん

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琴弾八幡宮は、観音寺市の琴弾山山頂にある神社です。琴弾公園入口の大鳥居から、381段の石段を上がると本殿があります。当社は源義経が平家との決戦前に訪れ勝利祈願したことで知られています。また義経は「望月(もちづき)」と名付けた神馬、木の鳥居を奉納しています。ご利益としては必勝祈願・商売繁盛・延命長寿・安産祈願・厄除等があります。毎年10月には、琴弾八幡宮大祭が開催され9台のちょうさ(太鼓台)がその勇壮さを競います。

7.琴弾八幡宮.jpg

⑧銭形展望台

ぜにがたてんぼうだい

展望台は琴弾公園内の琴弾山頂にあります。
実際は楕円形ですが、展望台から見ると円形になるように設計されています。展望台の隣に見晴台があり、ここから見るとさらに綺麗に見えます。そこから見ると銭形砂絵、松林、有明浜、燧灘、伊吹島を一望できます。
昼間に行くのもいいですが、夕方には綺麗な夕日が見え、夜は日没から22時までライトアップされるのでおすすめです!

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+GUIDE 銭形砂絵「寛永通宝」

ぜにがたすなえ かんえいつうほう

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観音寺市といえば銭形砂絵「寛永通宝」と言われるほど、市内で一番人気がある観光スポットです。

琴弾(ことひき)公園内の琴弾山山頂にある銭形展望台から見るのもおすすめですが、地上から見るとさらにその大きさが体感できます。
※詳しくは、「海岸エリア」の「13.銭形砂絵」参照

琴弾公園_展望台3.jpeg

⑨神恵院

じんねいん

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神恵院(じんねいん)は今から1300年ほど前に、日証上人が琴弾八幡宮の別当として創立しました。
大同年間(806-809)弘法大師が7代目住職の時、本尊聖観世音菩薩をはじめ諸像を安置、七堂伽藍を建立し観音寺と改めました。四国霊場88ヶ所の内、神恵院が68番、観音寺が69番となりました。
明治初年、神仏分離で、琴弾八幡宮の本地仏を西金堂に移し神恵院を68番の本堂としたため、四国霊場唯一の珍しい一寺二霊場となっています。

神恵院_本堂2.jpeg

⑩七宝山 観音寺

しっぽうざん かんおんじ

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礼所第69番の七宝山(しっぽうざん)観音寺は、琴弾公園内の琴弾山の中腹にあります。礼所第68番の神恵寺と同じ境内に存在する、とても珍しい霊場です。国の重要文化財として本堂及び木造涅槃仏像(もくぞうねはんぶつぞう)が指定されました。寺伝によれば、702年空海が第7世住職として入山しました。その際奈良の興福寺を模して、この地に仏塔を建て瑠璃・珊瑚(さんご)・瑪瑙(めのう)などの七宝を埋め地鎮したことから名称が七宝山観音寺になりました。

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+GUIDE 特別公開 涅槃釈迦像(重要文化財)

ねはんしゃかぞう

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仏教では、釈尊の入滅を、誕生、降魔、成道、初説法などとともにきわめて重要な事蹟とされていますが、彫刻は全国的に数が少なく、観音寺のものは奈良県岡寺のものと並び称されています。

この涅槃仏(像藤原時代末期)は、桧材(素木)寄木造り、全長74cmで、製作技法については、顔面部は板目、他は柾目となるようにはぎあわせています。衲衣の衣文には、この像を立像にすることも可能なほどに美しく、力強い線を見ることができます。
毎年2/15涅槃会・4/8花祭り当日のみの公開とされていますが、ご厚意により特別に公開していただきます。

観音寺_神恵院の鐘.jpeg

+GUIDE 興昌寺

こうしょうじ

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興昌寺(こうしょうじ)は、臨済宗東福寺派の寺院です。弘法大師が開き、かつては真言密教の道場であったといわれています。境内には、俳諧の祖といわれる山崎宗鑑が結んだという一夜庵があり、江戸時代以降多くの俳人が訪れ俳句を残しています。また、観音寺市指定文化財の仏足石やミニ霊場88カ所めぐりコースなどの史跡も数多く残っています。約1.5キロメートルの散策道も整備され、道中には根上り松という根の部分がほとんど地上に出ているクロマツの木もあります。

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⑪一夜庵

いちやあん

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俳諧の祖、山崎宗鑑が興昌寺の境内に結んだ数奇屋造の庵(草ぶきの小屋)で、日本最古の俳跡といわれています。
建立は、享禄元年(1528)でその後4回ほど修復されましたが、ほぼ原形をとどめています。
「一夜庵」の名は、宗鑑が来客の一夜以上の滞在を許さなかったという次の句にも由来しています。
「上は立ち 中は日ぐらし 下は夜まで 一夜泊まりは下々の下の客」
一番いいのはすぐ帰る客。次は、日帰りの客。よくないのは、宿泊する客。深く読むと、宿泊する客はそれだけ親しいという解釈もあるそうです。

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